主題シュダイ科目カモク 都市デザイン史
3-1 近世キンセイの都市デザイン(ルネサンスの理想都市リソウトシ
出典シュッテン 建築大ケンチクダイ辞典ジテン ダイハン」、ショウ国社クニシャ、1993
西洋建築セイヨウケンチク図集ズシュウ 三訂版サンテイバン」、日本建築学会編ニホンケンチクガッカイヘン彰国社ショウコクシャ、1981
広辞苑コウジエン 第四版ダイヨンハン」、新村ニイムライズルイヘン岩波書店イワナミショテン、1993
近世キンセイ modern age
古代コダイ中世チュウセイアトツヅ時期ジキ広義コウギには近代キンダイ同義ドウギで、狭義キョウギには近代キンダイ区別クベツして、それ以前イゼン一時期イチジキすことがオオい。一般イッパン西洋史セイヨウシではルネサンス以降イコウ日本史ニホンシではトク封建制後期ホウケンセイコウキたる江戸時代エドジダイ安土桃山時代アヅチモモヤマジダイフク場合バアイもある)をす。
ルネサンス Renaissance
再生サイセイ。13世紀末セイキスエから15世紀末セイキスエヘにかけてイタリアにこり、いでゼンヨーロッパに波及ハキュウした芸術上ゲイジュツジョウおよび思想上シソウジョウ革新カクシン運動ウンドウ現世ゲンセイ肯定コウテイ個性コセイ重視ジュウシ感性カンセイ解放カイホウ主眼シュガンとするとともに、ギリシア・ローマの古典コテン復興フッコウ契機ケイキとして、タン文学ブンガク美術ビジュツカギらずヒロ文化ブンカ諸領域ショリョウイキ清新セイシン気運キウンをひきおこし(人文主義ジンブンシュギ)、カミ中心カミチュウシン中世文化チュウセイブンカから人間中心ニンゲンチュウシン近代文化キンダイブンカへの転換テンカン端緒タンチョをなした。文芸復興ブンゲイフッコウ学芸復興ガクゲイフッコウ
ルネサンス建築ケンチク Renaissance architecture
15世紀セイキから16世紀セイキにかけてのルネサンス時代ジダイに、まずイタリアを中心チュウシンオコり、ゼンヨーロッパにヒロがった古典コテン主義的建築コテンシュギテキケンチク古代コダイギリシア、古代コダイローマ建築ケンチク荘重ソウチョウ様式ヨウシキ理想リソウオとし、そのアーチ・ヴォールト構造コウゾウ柱頭形式ハシラアタマケイシキ装飾ソウショクモティーフなどを採用サイヨウし、建築各部ケンチクカクブ比例的調和ヒレイテキチョウワ左右相称サユウソウショウ均斉キンセイ形式ケイシキ簡素カンソ明瞭性メイリョウセイなどをオモんじ、前時代ゼンジダイのゴシックの垂直性スイチョクセイタイして水平線スイヘイセン強調キョウチョウするなどの特徴トクチョウつ。当時トウジ人間中心ニンゲンチュウシン思想シソウ現世主義ゲンセイシュギ反映ハンエイし、教会堂建築キョウカイドウケンチクのほかに宮殿キュウデン別荘ベッソウテイタクヤカタ市庁舎シチョウシャなどの世俗建築セゾクケンチク都市計画トシケイカク広場設計ヒロバセッケイなどが発達ハッタツした。代表的建築家ダイヒョウテキケンチクカには、F.ブルネレスキ、L.B.アルベルティ、D.ブラマンテ、ミケランジェロ、A.パラディオらがげられる。
古典コテン主義シュギ classicism
17〜18世紀セイキにおけるヨーロッパ芸術ゲイジュツ全般的傾向ゲイユツノゼンパンテキケイコウで、古代コダイのギリシア・ローマの芸術ゲイジュツ規範キハンとする立場タチバ理知リチ普遍性フヘンセイ形式ケイシキ調和チョウワ完成カンセイオモんじた。イタリアを中心チュウシンとして各地カクチヒロまったルネサンス芸術ゲイジュツられるのが、その代表的ダイヒョウテキレイ。それにタイして、バロックおよびロココへの反動ハンドウとして18世紀末セイキスエから19世紀前半期セイキゼンハンキにかけてオコった芸術傾向ゲイジュツケイコウは、普通フツウ新古典主義とシンコテンシュギトオばれる。
理想都市リソウトシ ideal city
各時代カクジダイ人間社会ニンゲンシャカイ理想像リソウゾウとして提案テイアンされた都市トシ。プラトンの理想都市リソウトシ、T.モーアのユートピアのように社会的シャカイテキ都市生活的側面トシセイカツテキソクメンから追求ツイキュウされたものと、ルネサンスの理想都市リソウトシ、E.ハワードの田園都市デンエントシ、ル・コルビュジェのカガヤける都市トシのごとくシュとして形態的ケイタイテキ都市空間的側面トシクウカンテキソクメンから追求ツイキュウされたものとにオオきく二分ニブンサできる。産業革命後サンギョウカクメイゴにイギリスを中心チュウシンにして提案テイアンされた数多カズオオくの模範工業都市モハンコウギョウトシは、この両者リョウシャ性格セイカクっていた。それぞれの提案テイアンされた理想都市リソウトシは、いろいろな意味イミでその当時トウジ社会シャカイ経済体制ケイザイタイセイ都市トシそのものにタイするスルド批判ヒハンシメしている。
幾何学キカガクテキ geometry
方形ホウケイ三角形サンカクケイ菱形ヒシガタ多角形タカッケイ円形エンケイわせるように、原理ゲンリカラエから演繹エンエキする論証的ロンショウテキカ合理的ゴウリテキであること
稜堡リョウホウホウルイ(りょうほう) bastion
城壁ジョウヘキ要塞ヨウサイトッシュツ角部ツノブ。16〜18世紀セイキ、ヨーロッパで大砲タイホウによる攻防コウボウソナえて発達ハッタツシロ全体ゼンタイ星形ホシガタをなし、函館ハコダテ五稜郭ゴリョウカクはその一種イッシュ。りょうほ。
堡塁ホウルイ(ほうるい) テキ襲撃シュウゲキフセぐため、イシツチスナ・コンクリートなどでかためた堅固ケンゴ構築物コウチクブツ。とりで。
砲塁ホウルイ(ほうるい) 大砲タイホウをつえつけたトリデ(とりで)。
ウィトルウィウス Marcus Vitruvius Pollio(生没年不詳セイボツネンフショウ
ゼン世紀セイキ古代コダイローマの建築家ケンチクカ技術家ギジュツカ。アウグストゥステイケンじた『ウィトルウィウスの建築書ケンチクショ』(森田慶一訳モリタケイイチヤク)によってられる。このショは、古代建築コダイケンチク形式ケイシキ材料ザイリョウ神殿シンデン公共建築物コウキョウケンチクブツ住宅ジュウタク都市計画トシケイカク軍事グンジ天文学テンモンガク機械キカイなどについてロンじたもので、ルネサンスの建築家ケンチクカツヨ影響エイキョウアタエテアタえた。
スフォルツィンダ Sforzinda
15世紀セイキフィラレーテ建築ケンチク関するカンスルオ論文のなかにロンブンオナカニ叙述ジョジュツされている理想リソウ都市トシアタえられた庇護者ヒゴシャミラノコウスフォルツァのによっている。この都市トシ正八セイハチ稜形リョウケイで、中央チュウオウ広場ヒロバには宮殿キュウデン大会堂ダイカイドウがあり、8つの城塔シロトウツウじている。放射道路ホウシャドウロ環状道路カンジョウドウロとの交差点コウサテンには、教会キョウカイ広場ヒロバタガチガいにかれている。中世的権威チュウセイテキケンイ束縛ソクバクからダッした西ニシヨーロッパにおける最初サイショ完全カンゼン対称タイショウタイショウケイ都市計画案トシケイカクアンで、ルネサンス都市計画トシケイカク代表的ダイヒョウテキ一例イチレイといえるが、実現ジツゲンしなかった。
パルマノヴァ都市計画トシケイカク Palma-Nova
イタリア北部ホクブヴェネツィア東北トウホクブヒガシヤク100kmにある歴史的都市レキシテキトシ。ルネサンスの理想都市思想を具現した数少ない例の一。1593ネンヴェネツィア共和国キョウワコクがオスマントルコの侵入シンュウニソナえて建設ケンセツした要塞都市ヨウサイトシ。ルネサンス都市計画トシケイカクシャシャスカモッツィの設計セッケイによる。星形ホシガタホリカコまれ、9砲台ホウダイマモられている。火砲カホウ発達ハッタツ中世式チュウセイシキ城壁ジョウヘキわってホリ土塁ドルイによる防御ボウギョ形態ケイタイらせている。実施ジッシ結果ケッカ放射状街路ホウシャジョウガイロ不利フリ確認カクニンされ、以後イゴイタリアの影響エイキョウシタオコナわれたルネサンスの都市計画トシケイカクでは、星形ホシガタあるいは多角形タカッケイ市城塞シジョウサイ中にナカニホ格子状コウシジョウ街路ガイロハイするタイプがオオオコナわれている。スカモッツィ(1552〜1616)は建築家ケンチクカパラーディオの後継者コウケイシャで、パラーディオの遺作イサクテアトロ・オリンピコ(1585)を完成カンセイさせたうえ、2つの著作チョサク「ローマ古代コダイブツロンロ物論ブツロン」(1582)、「普遍的フヘンテキ建築ケンチク理念リネン」(1615)でも著名チョメイであった。
スカモッツィ Vicenzo Scamozzi,1552〜1616
イタリアの建築家ケンチクカ。A.パラディオ、J.サンソヴィーノナド影響エイキョウけ、オモにヴィネツィア、ヴィチェンツアで活躍カツヤク代表作ダイヒョウサクは、サン・マルコ図書館トショカン(1583〜88、サンソヴィーノが1536ネン着工チャッコウ)、ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコ(1584、パラディオが1580年着工ネンチャッコウ)など。
遠近法エンキンホウ perspective
立体リッタイ平面ヘイエンウエニヘイメンノウエに、それが人間ニンゲンウツるのと同じようにオナジヨウニヨウゲンスルヨ表現ヒョウゲンする方法ホウホウ基本的キホンテキには、スベての投射線トウシャセンシャセン視線シセン)がアツまって作られるツクラレルスイメンスイセンスエンスイメンの、垂直スイチョク画面ガメンによってられるグチられるとなる(線遠近法センエンキンホウ)。このような表現法ヒョウゲンホウはギリシアにおいてスデられるとはいえ、それが組織的ソシキテキ研究ケンキュウされたのはルネサンスになってからである。以来イライ造形芸術ゾウケイゲイジュツにおけるモット重要ジュウヨウ表現手段ヒョウゲンシュダンとされてきたが、近代絵画キンダイカイガトクにキュビズム以後イゴ絵画カイガにおいては、しばしば遠近法的エンキンホウテキ見方ミカタステラレテイルスてられてきている。また以上イジョウのような線遠近法センエンキンホウタイして、イロ調子チョウシにより遠近感エンキンカンアラワすものをイロ遠近法エンキンホウまたは空気遠近法クウキエンキンホウという。
逆遠近法ギャクエンキンホウ inverse perspective
絵画カイガ表現ヒョウゲン技法ギホウイチ遠方エンポウのものをオオきく、手前テマエのものをチイさく表現ヒョウゲンする概念ガイネン遠近法エンキンホウではヒトウツ状態ジョウタイ秩序正チツジョタダしく表現ヒョウゲンされるのにタイし、逆遠近法ギャクエンキンホウでは背景ハイケイから手前テマエへと視線シセン集約シュウヤクされてくるような効果コウカがある。
透視図法トウシズホウ perspective drawing method
透視図トウシズ図学的ズガクテキモトめる方法ホウホウ
シンメトリー symmetry
左右対称サユウタイショウ空間クウカンナガめの構図コウズがあるジクについて左右サユウショウオウショ相応ソウオウする。すなわちシンメトリーである場合バアイには安定アンエイアンテイ静的セイテキ権威的ケンイテキなどの印象インショウアタえる。建築ケンチクにおいては古代コダイから、トク神殿シンデン仏閣ブッカク宮殿キュウデンにおいてよくられ、今日でもコンニチデモセ建築ケンチク基本的構成キホンテキコウセイヒトつである。都市トシデザインにおいてシンメトリーな構成コウセイコノんでモチいたのは西欧セイオウのバロック様式ヨウシキである。
プロポーション(比率ヒリツ proportion
@イチひとまとまりの空間クウカン単一タンイツ物体ブッタイ構成コウセイする部分ブブン部分ブブン、または部分ブブン全体ゼンタイオオきさの比例関係ヒレイカンケイ均斉キンセイ造形的ゾウケイテキ緊張感キンチョウカンすなわち視的シテキ緊張感キンチョウカン。シュパヌンクを構成コウセイウエでの造形要素ゾウケイヨウソそのものの秩序関係チツジョカンケイをいう。黄金分割オウゴンブンカツはギリシア時代ジダイノから1つのノゾましいプロポーションとされている。
A都市設計トシセッケイにおいては、街路幅員ガイロフクインDと建物高タテモノタカさHの(D/H)、幅員フクインDと延長エンチョウLの(D/L)、広場ヒロバ縦横比ジュウオウヒ、などを指標シヒョウとして外部空間ガイブクウカンのまとまり、圧迫感アッパクカン囲繞感イニョウカンなどが検討ケントウされる。
カンピドリオ広場ヒロバ Piazza del Campidoglio、ローマ、1536ごろ設計セッケイ、1547起工キコウミケランジェロ設計セッケイ
カピトリノ丘上オカウエ古代コダイローマの元老ゲンロウインアINンアトに、その再建サイケン意図イトしてつくられた壮大ソウダイ広場計画ヒロバケイカクで、台形広場ダイケイヒロバと、アプローチとして大階段ダイカイダンと、3つのパラッツオを対称的タイショウテキ配置ハイチする優雅ユウガ古典的コテンテキ小広場ショウヒロバ。ミケランジェロ自身ジシン直接工事チョクセツコウジ管理カンリしたのはアプローチのパラッツオ・デル・セナトーレの大階段ダイカイダンおよび広場のヒロバノゾウゾ騎馬像キバゾウである。広場中央ヒロバチュウオウのマルクス・アウレリウステイ聖堂セイドウ騎馬像キバゾウは、1533ネンスデてられていた。明瞭メイリョウ軸線ジクセンとクライマックスをつバロックテキ広場計画ヒロバケイカク最初サイショのものであり、建物タテノモダイオーダーをハジめてモチいた画期的作品カッキテキサクヒンである。
ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti,1475〜1565
イタリア・ルネンサンスの彫刻家チョウコクカ画家ガカ建築家ケンチクカ。フィレンツェでロレンツォ・ディ・メディチの保護ホゴけ、1505ネンローマにオモムき、教皇キョウコウテイユリウス2セイ墓廟ボビョウ未完成ミカンセイ)やシスティーナ礼拝堂レイハイドウ建設ケンセツ代表作ダイヒョウサクに、サン・ピエトロ大聖堂ダイセイドウ、カンピドリオ広場ヒロバなど。
F.ブルネレスキ Filippo Brunelleschi,1377〜1446
イタリアの建築家ケンチクカ彫刻家チョウコクカ。フィレンツェのまれ。ハジ金工キンク彫刻家チョウコクカとして出発シュッパツしたが、建築家ケンチクカ転向テンコウ(1401)。集中遠近法シュウチュウエンキンホウ作図法サクズホウ発見ハッケン。ローマにオモム古代遺跡コダイイセキ研究ケンキュウ、またトスカーナ・ロマネスクの聖堂セイドウからもツヨ影響エイキョウけ、フィレンツェ初期ショキルネサンスの建築様式ケンチクヨウシキ想像ソウゾウした。主作品シュサクヒン:フィレンツェ大聖堂ダイセイドウダイドーム(1420〜36)、オスペダーレ・デリ・インオチェンティ(養育院ヨウイクイン、,1421〜24)、サン・ロレンツォ聖堂セイドウ(1421起工キコウ