主題シュダイ科目カモク 都市デザイン史
2-1中世チュウセイ都市の都市デザイン(西洋セイヨウ城郭都市ジョウカクトシ都市広場トシヒロバ
出典シュッテン 建築大ケンチクダイ辞典ジテン ダイハン」、ショウ国社クニシャ、1993
西洋建築セイヨウケンチク図集ズシュウ 三訂版サンテイバン」、日本建築学会編ニホンケンチクガッカイヘン彰国社ショウコクシャ、1981
広辞苑コウジエン 第四版ダイヨンハン」、新村ニイムライズルイヘン岩波書店イワナミショテン、1993
中世チュウセイ the middle (medieval) ages
古代コダイ近世キンセイ近代キンダイ)とのアイダシュとして封建制ホウケンセイ土台ドダイとする社会シャカイ
西洋史セイヨウシでは、ほぼ4世紀末セイキマツゲルマン民族ミンゾク移動イドウから15世紀半セイキナカ百年戦争ヒャクネンセンソウ終結シュウケツイタ時期ジキ。日本史では、一般に12世紀末鎌倉幕府の成立から17世紀初め江戸幕府の確立まで。
封建制ホウケンセイ feudalism, feudal system
封建社会ホウケンシャカイ政治制度セイジセイド領主リョウシュ家臣にカシンニフウドシフホウケン(ほうど)給与キュウヨし、わりに軍役グンエキ義務ギムする主従関係シュジュウカンケイ中核チュウカクとする。ヨーロッパでは、11〜13世紀セイキ最盛期サイセイキ国王コクオウ貴族キゾク家臣カシン教会キョウカイなどの領主リョウシュと、その支配下シハイカハイった農奴ノウドとを基本的階級キホンテキカイキュウとする。
農奴ノウド a serf
封建社会ホウケンシャカイ生産労働セイサンロウドウ基本的要素キホンテキヨウソで、一生イッショウ領主リョウシュ隷属レイゾクし、領主リョウシュから貸与タイヨされた土地をトチヲタ耕作コウサク就役シュウエキし、領主リョウシュへの賦役フエキコウケン義務ギム農民ノウミン逃亡トウボウ転住テンジュウ転業テンギョウ厳禁ゲンキンされ、身分的ミブンテキにはツヨ束縛ソクバクけていた。ヨーロッパ中世チュウセイ封建社会ホウケンシャカイ典型的テンケイテキ
中世建築チュウセイケンチク Medieval architecture
ヨーロッパにおいて古代コダイとルネサンスにハサまれた中間時代チュウカンジダイ、すなわち4〜5世紀セイキごろから15世紀セイキごろにイタ時代ジダイ建築ケンチク初期ショキキリスト教時代キョウジダイやビザンティン建築ケンチク影響エイキョウけて次第シダイ大規模ダイキボ聖堂セイドウ建立コンリュウハジまり、さらにロマネスク(10〜12世紀セイキごろ)、ゴシック(12〜15世紀セイキごろ)にイタり、建築ケンチク各地方カクチホウ伝統デントウかしつつも同時ドウジゼンヨーロッパテキ様式ヨウシキをつくりし、キリスト教聖堂建築キョウセイドウケンチク全盛期ゼンセイキムカえた。
中世都市チュウセイトシ medieval town
中世チュウセイ成立セイリツした都市トシ。ヨーロッパの中世都市チュウセイトシとしては城郭ジョウカク中心チュウシンとした軍事グンジ都市グンジトシヤz僧院ソウイン中心チュウシンとした宗教都市シュウキョウトシ、あるいは計画的ケイカクテキキズかれた要塞都市ヨウサイトシなどがあるが、代表的ダイヒョウテキなものは交易コウエキ商業ショウギョウによって成立発達セイリツハッタツし、自治権ジチケン獲得カクトクしていった自由都市ジユウトシである。この自由都市ジユウトシオオくは長期チョウキワタって自然形成的シゼンケイセイテキキズかれ、教会キョウカイ市庁舎シチョウシャ中心チュウシン歩行ホコウする人間ニンゲン尺度シャクドニオウジテヒロバオウじて広場ヒロバミチ出来上デキアがっていった。そのため、しばしば古代コダイ近代キンダイ権威主義的ケンイシュギテキ都市空間トシクウカンあるいは自動車ジドウシャヤコウジョウコ工場コウジョウによって混乱コンランさせられた現代ゲンダイ都市空間トシクウカン対比タイヒされてアツカわれ賞賛ショウサンされる。クニでも鎌倉時代以降カマクラジダイイコウに、それまでの古代都市コダイトシとはコトなったヒューマンスケールの中世都市チュウセイトシ発達ハッタツし、戦国時代センゴクジダイスエには一時的イチジテキ自由都市ジユウトシ成立セイリツした。
ヒューマン・スケール human scale
人間的な尺度ニンゲンテキシャクド建築ケンチク外部空間ガイブクウカンなどで個人コジンとしての人間ニンゲン活動カツドウするのにふさわしく快適カイテキである空間クウカンのスケール。
城郭ジョウカク castle
敵襲テキシュウフセぐために土居ドイ城壁ジョウヘキホリをめぐらして要塞ヨウサイした施設シセツ
城郭都市ジョウカクトシ 都市壁トシヘキイシカク煉瓦郭レンガカク木郭キカク土郭ドカク)などでカコまれて防御ボウギョされた都市トシ中国チュウゴク都市トシやヨーロッパの中世チュウセイ都市トシなどはこれにゾクする。
囲繞イジョウ(いにょう) かこいめぐらすこと
都市壁トシヘキ 市民シミンマモるために都市トシカコヘキ中世チュウセイヨーロッパの城郭都市ジョウカクトシ城壁ジョウヘキなどをし、壁、塔、門の三要素をつ。
ロマネスク建築ケンチク Romanesque architecture
10世紀末セイキマツから12世紀セイキにかけて西ニシヨーロッパ全土ゼンドヒロまったロマネスク様式ヨウシキ建築ケンチク聖堂セイドウ一般イッパンにラテン十字ジュウジケイサンロウカバシリカ形式ケイシキち、前時代ゼンジダイタイらな木造天井モクゾウテンジョウ石造イシヅク半円ハンエントウトツツヴォールトや交差コウサヴォールトにわる。その結果ケッカ半円形ハンエンケイアーチがロマネスク建築ケンチク基本的要素キホンテキヨウソとして、トビラグチクチマド、アーキヴォールト、壁面石組ヘキメンイシクミみ、アーケードなど、イタるところにアラワれる。石造イシヅクヴォールトの重圧ジュウアツササえるために、建物タテモノカベ重厚ジュウコウ堅固ケンゴマドスクなく、ドウドウナイクラい。
ゴシック建築ケンチク Gothic Architecture
ロマネスクとルネサンスの中間時期チュウカンジキ建築様式ケンチクヨウシキ。その構成コウセイ要素コウセイヨウソトガりアーチ、リブ・ヴォールト、フライイング・バットレスであるが、これらの要素自体ヨウソジタイはゴシックの発明ハツメイではない。ゴシック建築ケンチク特徴トクチョウは、これらの要素ヨウソ総合ソウゴウして石造イシヅク教会堂キョウカイドウ構造的コウゾウテキ安定アンテイした形態ケイタイへと完成カンセイしたところにある。
中世チュウセイムラ(プリント 1〜6は農家ノウカとその保有地ホユウチ。7は領主リョウシュテイトソテイとその直営地チョクエイチ井戸イド教会堂キョウカイドウイケ村民ソンミン共用キョウヨウ領主リョウシュ寮内リョウナイ治安チアン行政ギョウセイ裁判サイバン担当タントウし、外部ガイブからの攻撃コウゲキタイして村民ソンミン保護ホゴし、戦時センジには食料ショクリョウ家畜カチクトモナって邸内テイナイ避難ヒナンさせる。その代償ダイショウとして村民ソンミン各種カクシュ労務ロウム農作物ノウサクブツ提供テイキョウする。したがって、領主邸リョウシュテイカナラ武装ブソウされており、有力ユウリョク領主リョウシュ邸宅テイタク一族イチゾク従者ジュウシャ生活セイカツとして、武装ブソウされた住居ジュウキョ城郭ジョウカク)であった。
ドーヴァージョウ Dover Castle、イギリス、1179〜91年頃ネンゴロ
ドーヴァーは英仏エイフツウ海峡カイキョウ横断オウダンする最短サイタンコウロノミ航路コウロミナトで、カンタベリーをてロンドンにイタ幹線道路カンセンドウロ起点キテンっている。ここには、アングロ・サクソン時代ジダイからすでにかなり堅固ケンゴシロキズかれていたが、現時ゲンジ天守テンシュとこれを内郭ナイカクノナイクルワ城壁ジョウヘキはヘンリーニセイにより1179〜91ネンころにほぼ全面的ゼンメンテキ改築カイチクされたもので、当時トウジ姿スガタをほぼ完全カンゼンノコしている。シロカワ湾極点ワンキョクテン周囲シュウイ平地ヘイチから孤立コリツしたオカウエにあり、防御ボウギョしやすい場所バショエラんでツクられた。丘のふもとには堀をめぐらし、これに水を張るか逆茂木を立て、攻撃を受けたとき容易に取り外せる橋を架けた。堀の外側には防御しやすい地形を選びながらさらに堀と土塁をめぐらして郭(くるわ、bailey)とする。騎馬キバではノボれない急勾配キュウコウバイ人口ジンコウオカ(motte)をキズき、その頂上チョウジョウ周囲シュウイ木柵キサクカタめ、中央チュウオウ天守テンシュてて本丸ホンマルとする。天守テンシュへの出入口デイリグチ通常ツウジョウカイモウけられ、ここへノボ階段カイダン攻撃コウゲキけたときに容易ヨウイハズせるか、途中トチュウ遮断シャダンできるようになっていた。
クラック・デ・ Krak des Chevliers、シリア、12〜13世紀セイキ初期ショキ
シュヴァリエ ローマ帝国テイコク築城技術チクジョウギジュツはビザンチンに継承ケイショウされ、イスラムもこれにマナんでおり、当時トウジ西欧セイオウよりはるかに進歩シンポしていた。十字軍ジュウジグンセンシガソ遭遇ソウグウしたのは火攻ヒゼめや短期間タンキカン包囲ホウイ歓楽カンラクする木柵キサクをめぐらした木造モクゾウ天守テンシュではなく、ツヨ防御力ボウギョリョクトウ要所ヨウショ強化キョウカしたタカアツ石造イシヅク城壁ジョウヘキ二重三重ニジュウサンジュウにめぐらすシロ武装都市ブソウトシであった。十字軍ジュウジグンは2年間ネンカンにわたる苦戦クセンスエ、ようやくイェルサレムを奪取ダッシュした。十字軍ジュウジグン兵士達ヘイシタチクルしい戦闘セントウ経験ケイケンかし、当時トウジ西欧セイオウではられない完備カンビした多数タスウシロ築造チクゾウした。クラック・デ・シュヴァリエはその代表的ダイヒョウテキシロで、ダイ階十字軍以来カイジュウジグンイライ要衝ヨウショウとしてマモられ、1110〜70ネンゴロナごろナイカク城壁ジョウヘキ建設ケンセツされた。12世紀セイキ末〜スエカラ13世紀セイキハジめに内郭ナイカク礼拝堂レイハイドウ天守テンシュおよび外郭ガイカク城壁ジョウヘキ完成カンセイした。
シニョリーア広場ヒロバ Piazza della Signoria、フィレンツェ、イタリア
今日においてもフィレンツェの政治的セイジテキバ中心チュウシンでありツヅけている広場ヒロバで、ヴェッキオ宮殿キュウデンとシニョリーア柱廊ハシラロウカ(ロッジア)によって美しくウツクシクカ形作カタチヅクられている。ロッジアにはオオくの彫像チョウゾウがあり、彫刻作品チョウコクサクヒン野外美術館ヤガイビジュツカンになっている。広場中心ヒロバチュウシンチカくにはワカいコシモの騎士像キシゾウがあり、ヴェッキオ宮殿のキュウデンノコカドにはネプチューンのイズミがある。ヴェッキオ宮殿キュウデンマエには、ドナテッロによる有名ユウメイなジュディスとホロフェルネスのブロンズゾウや、ミケランジェロのダビデゾウ複製フクセイがある。
シエナ市庁舎シチョウシャ Palazzo Publico、シエナ、イタリア、1298〜1681ネン
カンポの広場ヒロバ この市庁舎シチョウシャはローマ時代ジダイ劇場ゲキジョウのあった半円形ハンエンケイ盆地状広場ボンチジョウヒロバ舞台側にブタイガワニ129881298〜1310ネンごろてられた。14世紀セイキ牢獄ロウゴク(1327)、大会議室ダイカイギシツ(1332〜42)とタカさ116mの鐘塔カネトウ(1325〜48)を、1681ネン市庁舎のシチョウシャノセ西翼ニシツバサの3カイ増築ゾウチクした。マチ主要道路シュヨウドウロ市庁舎シチョウシャのある広場ヒロバから放射状ホウシャジョウ配置ハイチされており、広場ヒロバメンする建物タテモノ都市景観上トシケイカンジョウ市庁舎シチョウシャジュンじた外観ガイカンとするように当時トウジすでに規制キセイされていた。
サン・マルコ広場ヒロバ Piazza di San Marco、ヴェニス、イタリア、11〜16世紀セイキ
ヒガシにサン・マルコ大聖堂ダイセイドウ西ニシmミナミキタ官庁建物カンチョウタテモノ(16〜19世紀初期セイキショキ)を配置ハイチした大広場オオヒロバと、東側ヒガシガワ西側ニシガワ図書館トショカン総督宮ソウトクキュウ南側ミナミガワ大運河ダイウンガをひかえた小広場ショウヒロバ形成ケイセイされたサン・マルコ広場ヒロバは、欧州オウシュウモットウツクしいモニュメンタルな広場ヒロバである。
ロッジア loggia(イタリア
(1)スクなくとも一方イッポウフキハナシナハナしになっている廊下ロウカ
(2)列柱によって囲まれた独立した建物。庭園や広場に設けられる場合が多い。